国破れて山河あり。
兵どもが夢の跡。
たこ焼きに例えるならば、
たこの部分なブログです。
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俺が小五の頃
我が小学校の運動会の
高学年のダンスでは
ソーラン節が採用され
以来
高学年のソーラン節は
伝統として
今年まで続いてきたという
そんな理由で
ソーラン節には
こっそり愛着があったりするのだが
今朝起きて
ふと
ソーラン節が踊りたくなった
やべー
ソーランしてぇー
でも音楽無いやー
まぁいいや
自分で歌えば
そして
ソーランし始める俺
どっこいしょー
どっこいしょ
しかし
ふと
止まる
思い出せないぞ
確かに
最後に踊ったのは
中一の頃
運動会を見に行って
「OBの飛び入り参加です!」
ってアナウンス入って
高学年の皆と
一緒に踊った時だから
幼稚園の頃の
涙の数だけ強くなれるよ
(ZARD)
低学年の頃の
タイミング
(ブラックビスケッツ)
小三の頃の
フラワー
(キンキキッズ)
小四の頃の
ハッピーサマーウェディング
(モーニング娘。)
どれも踊りは全然覚えてないけど
ソーラン節だけは…
って思いがあった
事実
最初の方はいけた
くっそ
クソ悔しい
人は忘れゆく生き物だね
小二の頃クラスメートだった女の子と
高校で再会して
あの当時昼休みは
二人で鬼ごっこしてた様な仲だったよね
って旨を伝えたら
「ごめーん覚えてないや」
って言われた時も
思ったけどね
可愛い娘だったんだせ
ただでさえ
幼なじみと運命の再会って
憧れるじゃん
高校入学早々
デビューしちゃったと思ったのに
それがその忘れっぷり
くっそぅ
そこがまた可愛いけどさぁ
逆に
俺が誰かの事を忘れたら
その人はやっぱり傷つくのかな
人との触れ合い関わり合い
それが
今の俺を作っている
今の俺の一部として生きている
それは
人として当然だし
持ちつ持たれつだし
日常的に取り立てて感謝するべきでもない
でも
そうして作られた自分を
愛していってあげないと
“出会い”に申し訳ないよね
そうして愛するべき自分には
当然“出会い”が含まれてて
“出会い”を愛するならば
“出会い”を忘れない事は
当然な事だよね
現状に満足しろって意味じゃないよ
今は今として受け入れ
それを踏まえ未来を夢見て
また“出会い”を重ねるって意味で
そんな訳で
ソーラン節を忘れてしまった事は
非常に申し訳なく悲しい
あの頃のソーラン節は
俺の半分だった
モーニング娘。を
特に理由もなく嫌ってて
今も特に好きじゃないけど
やっと好きな音楽で踊れるって
凄く喜んでた俺
あの時の感動があって
今の俺がいる
あの時の思い出が無ければ
今の俺はいない
お前が俺に残してくれたものは
あまりに俺に馴染み過ぎて
少しずつ俺から離れていくお前に
気付けなかったんだ
ごめんよ
ソーラン節
もうこんな思いは
繰り返したくない
手に注がれた水は
一滴だって溢したくないよ
我が小学校の運動会の
高学年のダンスでは
ソーラン節が採用され
以来
高学年のソーラン節は
伝統として
今年まで続いてきたという
そんな理由で
ソーラン節には
こっそり愛着があったりするのだが
今朝起きて
ふと
ソーラン節が踊りたくなった
やべー
ソーランしてぇー
でも音楽無いやー
まぁいいや
自分で歌えば
そして
ソーランし始める俺
どっこいしょー
どっこいしょ
しかし
ふと
止まる
思い出せないぞ
確かに
最後に踊ったのは
中一の頃
運動会を見に行って
「OBの飛び入り参加です!」
ってアナウンス入って
高学年の皆と
一緒に踊った時だから
幼稚園の頃の
涙の数だけ強くなれるよ
(ZARD)
低学年の頃の
タイミング
(ブラックビスケッツ)
小三の頃の
フラワー
(キンキキッズ)
小四の頃の
ハッピーサマーウェディング
(モーニング娘。)
どれも踊りは全然覚えてないけど
ソーラン節だけは…
って思いがあった
事実
最初の方はいけた
くっそ
クソ悔しい
人は忘れゆく生き物だね
小二の頃クラスメートだった女の子と
高校で再会して
あの当時昼休みは
二人で鬼ごっこしてた様な仲だったよね
って旨を伝えたら
「ごめーん覚えてないや」
って言われた時も
思ったけどね
可愛い娘だったんだせ
ただでさえ
幼なじみと運命の再会って
憧れるじゃん
高校入学早々
デビューしちゃったと思ったのに
それがその忘れっぷり
くっそぅ
そこがまた可愛いけどさぁ
逆に
俺が誰かの事を忘れたら
その人はやっぱり傷つくのかな
人との触れ合い関わり合い
それが
今の俺を作っている
今の俺の一部として生きている
それは
人として当然だし
持ちつ持たれつだし
日常的に取り立てて感謝するべきでもない
でも
そうして作られた自分を
愛していってあげないと
“出会い”に申し訳ないよね
そうして愛するべき自分には
当然“出会い”が含まれてて
“出会い”を愛するならば
“出会い”を忘れない事は
当然な事だよね
現状に満足しろって意味じゃないよ
今は今として受け入れ
それを踏まえ未来を夢見て
また“出会い”を重ねるって意味で
そんな訳で
ソーラン節を忘れてしまった事は
非常に申し訳なく悲しい
あの頃のソーラン節は
俺の半分だった
モーニング娘。を
特に理由もなく嫌ってて
今も特に好きじゃないけど
やっと好きな音楽で踊れるって
凄く喜んでた俺
あの時の感動があって
今の俺がいる
あの時の思い出が無ければ
今の俺はいない
お前が俺に残してくれたものは
あまりに俺に馴染み過ぎて
少しずつ俺から離れていくお前に
気付けなかったんだ
ごめんよ
ソーラン節
もうこんな思いは
繰り返したくない
手に注がれた水は
一滴だって溢したくないよ
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